No.12 目の力

2月合宿で1年生と歓談しておりました時のことでございます。ソフトテニス大好き少年で素直な性格の子がポツリと「私は総監督を尊敬しております。そしてすごく親近感を持っています。」とのこと「なぜ、親近感?」と聞くと、少し口篭りながら「私のおじいちゃんに良く似ているのです」・・・・・・・・だと。

ついに来るべきものが来たというところでしょうか。いままでいろんな人に例えられましたが、初めておじいちゃんという言葉が出てきました。アーーーーーーーー。
若かりし頃「底引き網漁のJUN」と云われた姿はどこにもないのであります。
ウーーーーーーーーーー。

このソフトテニス大好き少年は、目が澄んでいて力があります。目に力がある子は、人に出来ないなにかを成し遂げることが出来るパワーがあるのです。
目の正しい輝きとみなぎる力が、アスリートには大切であり(もちろん人間としても大切です)、自分を引っ張り、人を惹きつけ、皆を幸せに導くのだと思います。

少年達は必ず一度はこういう目をする時期がございます。しかし、いつの日かを境にこの輝きが徐々に失せてくるのです。
それは大人の現実の世界を垣間見るからなのでしょうか。それとも自分の限界を自分で知るからなのでしょうか。社会の仕組みに愕然とするからなのでしょうか。
寡黙でも饒舌でも頭が良くても悪くても、なんでも構わないのであります。肝心なのは自分の人生をしっかりと見つめることが出来るかどうかにかかっているのです。

人間は一人では生きられません。必ず大きな運命の出会いがございます。親との出会い兄弟との出会い、友との出会いそして人生の師との出会いであります。しかし大切な友・師との出会いも気づかない場合があります。これはすでに目の力が弱まっているからなのだと思います。

自分が生きる目的と、今やらなければならない目標をしっかりと認識し、自分の心と対峙して見つめなければならないのです。これは年齢は関係ありません。
親や学校の先生にすがっても、宗教にすがっても駄目なのです。
自分の人生は自分が責任を持って自分で切り開いていくべきなのです。関わる人たちは、それを少し支えてあとは温かく見守るだけなのです。
弱い自分に負けることなく、いま何をすべきか考え行動していかなければなりません。
「人間なのですから」・・・・・・・・。

 

<大学での単位を取得することが出来ず、不本意ながら退学していった生徒が10ヶ月後に送ってきたメールです。>

「自分の犯した過ちを、いろいろな形で改めて痛感させられます。大事なものは失って初めて気ずく、という言葉を身に染みています。前向きにこれからの人生を考えていきたいと思います。」

 

人間は生まれる時も、死ぬ時も一人だといわれていますが、家族そして仲間と一緒に、泣いたり笑ったりして生きていく素晴らしさを忘れてはなりません。
しかし、その家族・仲間の信頼を自ら失うようなことをしては駄目なのです。

わたしは自分の人生を自分で切り開いていく人たちと一緒に、素晴らしいスポーツであるソフトテニスで感動を味わいたいと思っていますし、そういう人たちと人生をともに送っていきたいと思っております。

わたしの師は17年前に50歳で突然亡くなりました。いまもって何においても上に行くことが出来ませんが、ようやく年齢だけは上回ることが出来ました。
厳しくそして優しくいつも温かい目で鍛えてくれました。両親も然りであります。
弟子・息子が考える恩返しは一つであります。
「自分の与えられた人生をしっかり生きること」でしようか・・・・・・・・。

今日、無事に51歳になりました。

感謝しかありません。初心を忘れず生きていきたいと思います。

佐藤

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