No.2 チャンピオンの称号

高橋・綱渕が力強く自信にあふれるテニスで北海道選手権を連覇した。
決勝戦の相手は4年連続して「梅根」。ペアを朝倉から和田に変えて緻密なテニスで勝ち上がってきたが、仕掛けどころでことごとく高橋・綱渕が先手を取り、若さあふれるプレーで圧勝した。しかし、梅根は20回北海道選手権に出場して、12回決勝進出である。日ごろの精進に心からの敬意を表したい。

「一番待ち遠しく、一番大会らしい大会」が、久しぶりの苫小牧で晴天の下、開催された。7月のこの選手権をめざし、オフから「ペアでの方針の決定」、「トレーニングの内容の確認」、「戦術の決定等」、この大会を勝って北海道チャンピオンの称号を背負い、東日本選手権・全日本社会人選手権・天皇杯へと進むため、そして全日本のヤマ場で踏ん張るために必要なこの価値あるタイトルを取るために、真摯な戦いが数ヶ月間繰り広げられた。
前日の5日(土)、一番の仕上がりは「川島・三浦組」。明日は圧勝かと思われた。夏場を迎え川島が本来のフットワークと低い姿勢からの流れるようなスイングが戻ってきたのと三浦の一級品のレシーブが安定してきた点など、心に乱れがない限りかなりの確率のはずであった。
この天皇杯3位ペアに完勝したのは「梅根・和田組」。梅根は数週間前から腰に鋭い痛みが走り、整形外科・整体・マッサージ・針などあらゆる治療を試みたが、回復の兆しがなく不安を抱えて会場に入ったが、前日の最初の練習で大きく捻ってしまい苫小牧連盟の方に紹介してもらい針治療に行ったが良くならず、マッサージを行ってみたが痛がるので中断するなど最悪の状態であった。しかし、当日は選手権の神様が彼の後押しをしてくれたのか、ベルトとキネシオテープで奇跡的にゲームを続けることができた。しかしここからが彼が一流たる所以である。スピードボールを打てない代わりに上半身をしっかりと固定し、センターセットからコントロールショットに徹してゲームを支配し、相手の前衛を封じ込め味方の前衛をうまく使っていた。和田もこのゲームの流れに実にうまく乗り、経験の無さを度胸で補い、最後は足を攣りながらも要所をしっかりと抑えていた。賞賛に値する内容であった。
もうひとつの優勝候補「中村・朝倉組」はオフから微妙にペアの呼吸が合わず、お互いの弱点をカバーすることがなかなか出来ずにいたが、さすがに選手権をそれぞれ二回づつ取っているだけあり、しっかりとこの大会に合わせてきたのはさすがといえる。安定感のあるストロークとゲーム全体を見渡せる能力に優れている中村は追い詰められても取り乱すことがなく、全日本でもトップクラスの能力を持つ朝倉とのコンビネーションは今後に期待を抱かせるものであったが、準決勝では相手のテンポに戸惑い、良いところ無く敗れた。
さて、優勝した「高橋・綱渕組」だが、高橋は先月結婚をして十分に練習が出来ず、綱渕は三月で大学を休学し、民間企業で働き出し昨年のような練習時間が取れないなど、一番不安の多いチームであったが、結果は圧勝。「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」というがまさにそのとおりの内容であった。毎週末登別から大学コートに来る綱渕のテニスを愛する心と高橋の誠実な人柄に対し、テニスの神様がほんの少し微笑んだというところが真実のような気がする。両名とも自分たちの状態に対し多くの不安を抱え、ライバルチームの出来にたくさんの恐れを抱いていたのは紛れも無いことであった。しかし、準決勝は中村・朝倉、決勝は梅根・和田と自分たちが一番思い切り出来る相手だったのも幸運だった。昨年の決勝戦は二年連続梅根・朝倉に敗れていたので判官びいきで観衆も初優勝に味方してくれたが、今年は逆に満身創痍の梅根・和田に観衆の心が惹きつけられていた。だが、このチャンスを逃すまいとの強い心が常に先手を取っての圧勝だった。
選手権チャンピオンとしてのプライドと北海道の期待を背負い、彼らの最大の目標である天皇杯で大暴れしてほしいと願っている。十分な準備としっかりとしたプロセスが大切になる。

「本大会の技術的な勝因は下半身からの動きにあった」

前の記事

No.1 目指すべき道

次の記事

No.3 東日本選手権