No.22 浅川俊介

4月2日に消防長から辞令を受け消防士になりました。その後、大館消防本部にて一週間の研修を受けたあと、新たに消防学校初任教育課程の辞令を受け、現在は本庄市にある秋田県消防学校に入校して訓練礼式や消防法などを学んでいます。

私が4年間を振り返るなら、良い人間に出会えて良かったということが一番です。本当に様々な方向から支えてもらっていたんだなぁと思います。多くあるスポーツの中でソフトテニスを選んだことは自分自身とても幸運なことだと感じています。
思い出を振り返ると沢山ありすぎて文章にするのは難しいですが、やはり、団体戦が思い出に残っています。多くの団体戦がありましたが、一番鮮明に覚えている試合は、私が一年生のときの春季大会で、最終戦の函館大学との一戦です。そのときはすでに王座の切符は手に入れていたと思いますが、5番勝負での外山・山上ペアの試合が劣勢で進み、ついにはこのまま負けてしまうんじゃないかと思うほどでした。あの時の気持ちを正直に打ち明けると、初めての団体戦で疲労が溜まり、王座の切符を手に入れていて油断していたと思います。負けても全国に行けるという油断です。監督から激が飛び、自分含めチームの空気が緊張しました。いつ負けてもおかしくない試合でしたが、外山・山上ペアが踏ん張り、応援も後押しできたんじゃないかなぁと思います。その一試合には、ソフトテニスにおいて大事なものが凝縮されているのではないかと思われます。大事なものとは「気持ち」です。案外簡単な答えなのです。どれだけ勝ちたいかという気持ちがあるかです。

チームで戦うわけですから、一人一人が違う役割を担います、しかし最終的にはみな同じだけの喜びを得るのだと思います。その、「気持ち」の部分を教えてくれたのは梅根監督です。技術ももちろんそうですが、私は特に気持ちの部分を学んだと思います。
私の同期の一人が皆の前で話した言葉、それは「あいだみつおさん」の言葉「花を支える枝、枝を支える幹、幹を支える根、根はみえねぇんだな」とても大切な言葉です。
私は、テニスの成績も殆ど残していませんし、あまり強いほうではありませんでしたが、自分が活躍できたときは、そのときはペアを含め、回りの人たち全員が根っこや、幹や、枝になってくれていたんだと気づきました。
一人では到底達成できないであろうことが札幌学院大学ソフトテニス部の目標「王座優勝」ですが、学院大には仲間がいます。そして、普段は気づきにくいかもしれませんが、監督はじめ支えてくれる多くの人たちがいます。これから王座を狙う学生の方々は凄いことを成し遂げようとしているのですから、自分で自分に線を引かず、常に上を見ていて欲しいと思います。そうすれば辛いと感じるのはほんの少しだと思います。
大切にするべきはペア、同学年、チーム、監督、総監督、コーチ、OB、両親、支援してくださる方々です。 感謝の気持ちを忘れず、皆で高めあってください。
他にも沢山の思い出があります。ほんの些細なできごとにも思い出がありますし、私の同期一人一人についての思い出も、先輩方の思い出もあります。が、この辺で勘弁してください。(笑)だからこそ今の私がいるのだと思います。大学の四年間は本当に貴重でかけがえのない時間でした。
私の泥臭い不器用な四年間を語るにはまだ早いと思いますし、纏めることができませんでした。お許しください。

これからは先に述べた気持ちを忘れることなく、自分の過ちは認め次に活かすことができるように頑張ることです。総監督に会う機会がありましたら堂々とそのときの近況を報告できるように成長したいです。

 

今年3月に卒業した浅川俊介からの手紙です。彼は300人いる卒業生の中でも畠山航と並んで、古武士の心意気を持った素晴しい部員でありました。
両名とも苦労人で、他の部員の気持ちを良く理解し、自分が何をすべきかを良く知っていました。一生の中で最も輝いている大学時代を充実の中で駆け抜けていった部員だけに、なかなか含蓄のある文面です。
私は彼が入学してから数か月、何故か「苗字を間違え」、完璧に別の苗字で何度も呼んでいたのですが、さすがというか彼は動ずることなく爽やかに返事をしていました。
大きな声で部員を鼓舞し、コートの雰囲気をビリッとさせる一流のアスリートで、昨年の3月のインドアで初の3位となった時は、現役・OBともに大きな喜びであり感動でした。

今年の卒業追い出しコンパで、監督・コーチ・部員・新入生ともに大泣きさせたのは、彼の心のこもった惜別の言葉の数々でした。まさしく言霊とはこのことかと・・・・・・・・。

いつの日か故郷の指導者になることを祈りつつ、4年間真摯であった君に最大限の感謝の気持ちを贈りたいと思います。
ありがとう。          「浅川俊介」!

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