No.15 お見舞い

教え子から貴重な手紙を貰いました。無断で掲載させていただきます。

足の方はだいぶ良いのでしょうか?
僕の方は、先日、祖母が亡くなりました。84歳でした。ちょっと早すぎる死でした。亡くなる当日の午前中には畑に行き、普通に生活をしていたそうです。死因は胸部大動脈瘤破裂だそうです。元気だったので、何ともあっけない死でした。
正直、未だ、新潟の実家に帰ればいつも通り「今日は何処でテニスの練習ら?」と、話し掛けてくれそうな気がします・・・。
亡くなる丁度一週間前まで、ちょっと遅めのゴールデンウィークを新潟で過ごしていて、金沢に帰る時に「ばぁーちゃん、また来るね」って言って別れたのが僕にとって最後でした。亡くなった連絡を受けても、仕事の関係ですぐに戻る事ができず、初めて自分の仕事の異常さを身にしみました。
亡くなったばぁーちゃんは、僕の前には現れてくれません・・・。結構、いろんな所に現れたらしいのですが、残念ながら僕の前には現れてくれません。「比呂紀は心配ない」と、思っていてくれるのか、なかなかスケジュールが厳しいのか・・・。
今まで父親の泣く姿を見た事が無かったのですが、初めて父の泣く姿を見ました。しかし、本当に一瞬しか涙を流しませんでした。正確に言えば、流れてはいません。涙が溜まっただけです。今更ながら自分の親は凄いなぁ。と思える日々でした。
ばぁちゃんの告別式にお寺さんが言っていました。
羽生さん家のおばぁちゃんはいっつもニコニコして笑顔の素敵な方らったねぇ。と。僕の涙腺はその言葉で初めてやられました。
ばぁちゃんが残してくれたのはこれだと思います。
『つらい時、苦しい時に愚痴を言う事、嬉しい時、楽しい時に調子に乗る事は誰にでもできます。あえて逆境の時にまわりに笑顔を与えられる、順調な時に用心する心を持つ』そんな人間になれるよう日々努力して生きたいと思います。

あまり無理をなされずに・・・。

今日は死んだ親父の命日で七回忌になります。70歳でした。
「親孝行したいと思ったときに親は無し」でしたか。最近どんな親孝行をしてきたのだろうと考えることが多くなっています。
子供の好きなことを腹一杯やらしてくれて、いつもドッシリしていて、どんなときにでも慌てなかった親父でした。鮨が好きで特に鮪の赤身は「野菜を取らなくても良いくらい身体に良い」というのが鮨を食したときの口癖で、どんな時にでも銀紙に「ショッパイ秋味とタラコ」を持ち歩き、若いときは「清酒月桂冠」晩年は「サントリーオールド」でした。着るものも食べるものも何もかもが「一流を知れ」が口癖で、何年も同じ店を使い、一生懸命頑張っている人達と心を通わせることに楽しみを持っていたようでした。死んでから何年も経っているにもかかわらずいろいろな人たちがお参りに来てくださるのは、息子にとってありがたくそしてうれしい限りであります。
親の恩は山より高く、海より深いと申しますが、私はなにも親孝行できずに生きてきたようです。元気で家と家族を守り、仲間と共に少しでも世の中に役立てることが出来れば、ほんの少し親父に恩返しが出来るのかと思っております。実家で行われた七回忌の法事にもいけず、本当にダメな息子ですがいつまでも見守ってくれればと・・・・・・・・。
「父さん ごめんなさい」

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