No.4 母

先日の東日本選手権において久々に北海道の学生がベスト16に入りました。「外山・小田桐組」であります。まだまだ課題の多いペアではありますが、2年後の全日本学生王座、そして全日本学生選手権で頂点を極めるためには、大きな経験であったことと思われます。

彼らが出場する大会には必ずといっていい程、この両名を見守るご両親の姿があります。特にお子さんを温かくやさしく見つめるお母さんの目がいつも印象的です。王野主将のお母さん、中居選手のお母さんも同様であります。

先日、地元新聞のコラム欄に次のような文が掲載されておりました。
「水の事故で息子を亡くした母親がその息子の死体を見たとき、担当医にどうか生き返らせてほしいと何度も頼んでいました。医者が去った後も、息子の手を握り、自分の体温を伝えて蘇生させようと幾度も幾度も試みていました。母親とはそういうものです。他人から見れば忘れ去っていることでも、何年過ぎてもその母の時計は静止したままなのです。長崎県の幼児殺害事件の被害者の母はどれほどの悲しみかと思うと同時に、あの12歳の母親のいたたまれなさも想像できる。」とありました。

私の母は大正生まれで、もうすぐ80歳ですがいつもなにかと私を気遣ってくれます。この母があったればこその自分、仲間がいるからこそがんばれる自分をいつも確認させてくれます。
母の愛は本当に海より深いのかもしれません。

皆様のおかげで200人以上の卒業生を送り出すことが出来ました。そしてその生徒達のお母さんからもたくさんのお手紙をいただくことが出来ました。その中からヘッドコーチ中村圭二のお母さんより昭和62年9月にいただいたお手紙の中から、抜粋して掲載させていただきます。
御本人のご了承をいただく事は、もう出来ませんがお許しをいただいて・・・。

特に現役の部員と若い卒業生に何かを感じて欲しいと願っています。
高校3年生の秋、ご両親と本人と私がはじめて一同に会して進学について話し合いをした後、いただいた手紙であります。

「最近になって暖かい日が続いておりますが、毎日お忙しい日々をお過ごしのことと思います。
先日は大変ご多忙の折にもかかわりませず、私達の子供のためにわざわざ貴重なお時間を作っていただき誠にありがたく、感謝の気持ちで一杯でございます。
勉強につけテニスにつけ先輩達から見てまだまだ力不足であり、これから先、非常に不安が多いのですが、今、本人は札幌学院大学に進んでみたいと思う気持ちが段々と強くなってきているようであります。曲りなりに何とかここまで進んできた部分、皆さんに支えられながら良い出会いをさせてもらっております。チャンスもそうございません。お願いも少しあつかましい気がしておりますが、何とか親子共々、前向きに努力して参りたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。」

お母さんは本年3月18日、「癌」でこの世を去りました。心からのご冥福をお祈りいたします。

私は、お亡くなりになる数時間前に不思議な体験を致しました。午前3時頃だったでしょうか。玄関のチャイムが何度か鳴り、出てみますとお母さんが立っておられて、何度も「息子圭二をよろしくお願いします」と頭を下げられておりました。わかりましたと答えると、また何度も頭を下げられてお帰りになりました。ハッとして目が覚め、隣にいた妻と、きっと亡くなられたのだろうと話をしたのを覚えております。あとからお話をお伺いしますと、おばあさんも同じ体験をされたそうです。
亡くなられる前日、お見舞いにお伺いした時はとてもお元気でベッドから体を起こされて、昔話やテニスの話そして孫の話など色々なお話をさせていただきました。でもお別れの時の最後の言葉は、やはり「息子 圭二」の話でございました。
なんという母の心でしょうか。

お母さん。
息子さんは、感受性や表現力に富み気配りも十分で、健全な精神を持った、たくましい人間に成長しました。どうか末永く見守ってやってください。

「合掌」

前の記事

No.3 東日本選手権

次の記事

No.5 山形